古代日本史 飛鳥時代篇(途中)
飛鳥の朝廷
東アジアとヤマト政権の発展(6世紀)
大伴金村(大連)の全盛→継体天皇の擁立(6世紀初頭)。
伽耶西部の任那四県を百済の支配下にする(512)→物部尾に弾劾され、失脚(540)
→新羅の強大化、高句麗南下による百済ら弱体化を防ぐ。
- (527~528)筑紫国造磐井の乱︰筑紫国造磐井が新羅と結び、近江毛野の任那救援・新羅征討軍を阻止。1年半後、物部麁鹿火によって鎮圧された。福岡県八女市の岩戸山古墳は磐井の墓と考えられる。
- (562)伽耶の滅亡…朝鮮半島での拠点を失う。
蘇我氏の台頭
蘇我稲目︰欽明天皇により王権が安定し、実権を拡大する…欽明天皇と外戚関係を強化する。東漢氏などの渡来系氏族を支配下におき、三蔵(斎蔵・内蔵・大蔵)を管理し、王権の財政を掌握。また大臣という地位に初めて就き、大夫11層との合議のもと、内外の政治を統括。
崇仏論争
蘇我稲目(大臣)崇仏派と物部尾輿(大連)廃仏派の対立
↓次世代まで続く
(587)蘇我馬子(大臣)が王族や諸豪族を集めて、物部守屋を滅ぼす。
推古朝の政治
中国︰北朝からおこった隋(581~618)が589年に南朝の陳を滅ぼして、中華を統一する。隋は律令制を整備するとともに、周辺諸国への圧迫を強め、598年以降、何度にわたって高句麗へ大軍を派遣した。朝鮮諸国やヤマト政権は中央集権化の必要性を迫られた。
蘇我馬子は用明天皇に(在位585~587)、ついで崇峻天皇(在位587~592)と、次々と蘇我氏と血縁関係にある皇子を即位させ、権力の集中を図る。→592年︰馬子の権勢を嫌った崇峻天皇が馬子の手先に暗殺される。
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