このブログの説明

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本ブログ名の「かもしかみち」は藤森栄一の「かもしかみち」から引用しました。そして藤森栄一は古道という著書にて以下の事を記した。「私はかつて、そうした道*(ここでは古道を指す)を懸命に追ったことがある。その時の成果は、「かもしかみち」という長篇にまとまった。しかし、力が及ばなかったこと、書き足りなかったことが多かった。いつかきっと、日本の古道を徹底的に追い詰めてみようと願った。」と。私は「知の欲望に従って、追い求める原動力」そうした意味をかもしかみちから感じ取った。故に私は本ブログにおいてかもしかみちという言葉を用いたのである。話は変わり、本ブログでは私の長い小言を書く場所と使用いたします。

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明治政府の成立の過程

 

明治政府の成立






五箇条の御誓文1868 3.14

新政府の基本方針 天皇が神々に契約する形式 広義世論の尊重・開国和親

由利公正越前)起草→福岡孝弟土佐)修正→木戸孝允長州)成文

列侯会議ヲ興シ(由利・福岡案)→広ク会議ヲ興シ(木戸修正案)



五榜の掲示1868 3.15 ×傍 〇榜

五倫の道=儒教道徳の強調、徒党・強訴やキリスト教の禁止旧幕府の民衆統治方針と変わらない

浦上信徒弾圧事件186873)などの弾圧事件→列強の反発により1873年にキリスト教の条項は撤廃

政体書1868 4.21三職体制政府の組織を定める

太政官に権力が集中、三権分立アメリカ合衆国憲法を参考)

府藩県三治制―旧幕府直轄地に県を、東京・大阪・京都に府を置く(藩は残る)

立法機関=議政官→上局(議定・参与)・下局(貢子)


神道国教化の方針神道と天皇権威高揚に利用する意図

神仏分離令1868)神仏習合の禁止→廃仏毀釈-仏教界の攻撃

慶応明治改元(1868一世一元の制(天皇一代につき一元号)

江戸→東京遷都(1869)―京都の朝廷の消滅(公家を排除)…天皇と藩閥勢力に権力集中

中央集権体制の確立

版籍奉還1869 諸大名が領地「版」と領民「籍」を(将軍からの御恩を)天皇に返上

木戸孝允大久保利通らの画策

薩長土肥4藩主が率先→全藩主に版籍奉還を命令 (半年かけての奉還)

旧藩主は知藩事として藩政を継続  徴税・軍事は各藩に属す

 廃藩置県1871) 藩政全廃、中央集権体制の確立

御親兵の新設(薩長土肥3から1万人が選ばれる)

廃藩置県の詔」を発す→藩の全廃

知藩事罷免(東京居住)→中央政府から府知事(東京・大阪・京都)・県令派遣

18717月    同年末    1888

使3302県→1使372県→1343

中央管制の整備💪

版籍奉還後の管制改革(1869) 二官(神祇官・太政官)六省制

※神祇官は太政官と並立祭政一致の方針  廃藩置県後の管制改革(1871

太政官三院制  正院(太政大臣・左右大臣・参議で構成される最高機関)

        左院立法(りっぽう)諮問(しもん)機関)

        右院各省の卿・大輔からなる連絡機関)

少数の公家と薩長土肥出身の実力者が実権を掌握→藩閥政府の基礎

※史料は河合塾テキストより出典

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