このブログの説明

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本ブログ名の「かもしかみち」は藤森栄一の「かもしかみち」から引用しました。そして藤森栄一は古道という著書にて以下の事を記した。「私はかつて、そうした道*(ここでは古道を指す)を懸命に追ったことがある。その時の成果は、「かもしかみち」という長篇にまとまった。しかし、力が及ばなかったこと、書き足りなかったことが多かった。いつかきっと、日本の古道を徹底的に追い詰めてみようと願った。」と。私は「知の欲望に従って、追い求める原動力」そうした意味をかもしかみちから感じ取った。故に私は本ブログにおいてかもしかみちという言葉を用いたのである。話は変わり、本ブログでは私の長い小言を書く場所と使用いたします。

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「史の考」と実在の証明について

 史料とは

 歴史学とは、人間の古きを尋ねようとする回顧の概念から始まる学問であるが、学問という枠組みにて、理性的に探求を求めるときその様相は変わらなければならない。これは、史学という枠組みに入るとそれは一層顕著となる。
 史学という学問は昔の文章を扱い、そこから歴史を求めるものであるが、その学問を探究する際には、史料というものを一層懐疑的に見なければならない。東洋ならば一層その様相は深く求めなければならない。
 東洋地域においては、書物というものは西洋と比べて圧倒的な量を誇る。それは西洋が羊皮紙という世界に対し、東洋は植物の繊維を用いた紙を使用してきたからである。それ故、西洋においては、紙が高価であり、紙は聖書などの貴重な書物の写本に用いられることが多かった。それ故、原本が残る事に関しては西洋が多い。それに対し、東洋では西洋に比べて紙は安価であり、国史以外に私歌集など個人で利用されることが早く行われた。しかし、安価な紙な故その書物が劣化、焼失したりする事が多く、原本で残っていることはほぼない。東洋の史の歴史においては、写本による文字伝えが一般的であったのだ。
 それ故、私達は史料を研究する際において、私達は疑いの前提をもってこれに望まなければならない。

史料に基づかせるもの

 日本歴史において最も有名な論争は、やはり邪馬台国論争であろう。江戸時代の国学者に端を発し、かれこれ300年ほど争われている論題である。この論争は多くは魏志倭人伝の読解に限られている。事のシンプルさ故、これは誰にも取り掛かりやすい話題である。しかし、この論題はそう単純ではない。
 前段で述べたように、史とは疑いを以て望まなければならない。しかしながら、この時代においての史とは魏志倭人伝のみしかないのである。一般的においては史の正確性を基づかせるものは、また違う史である。これは、史料が複数あることが前提であり、それら比較することによって初めて、批判的、また賛辞的評価を下せるのである。
 では、どのようにして魏志倭人伝の信憑性を基づかせるのか。それは考古学や言語学など様々な知見を用いてその史料の読解を任せるしかない。様々な知見の共通項こそが史実の確実性なのだから。
 ここにおいて述べたいことは史料読解の批判である。昨今、インターネットなどの情報媒体の普遍化に伴って人々の得られる情報が急激に増加したが、その情報の濃密さというものは薄まっていくように感じる。昨日、YouTubeにて古代史についての動画を見ていたのだが、その内容の薄さ、胡散臭さには目に余るものである。史料批判ではなく、団体の批判やら、噂程度の根拠しかない神話根拠づけている処やもうさんざんである。
 何回も申し上げるが、歴史学において第一に優先されるものは、実際に存在するモノである。そのモノとは、土器であったり、墓であったり、または地名、方言であったり、その現地に赴いて実際にあったもの確実な事実見る。その上で、神話、伝承、史料の読解を行う。このような順序が重要なのである。確かに、神道考古学など、その地の伝承、神話から解く学問もあるが、あくまでその解釈は最終段階でまず最初に行うことは実証的探究である。

最後に

 確かに、太古の人々を追い求めることは、ロマンであるし、己のナショナリズムを高める賜物である。実際、柳田国男をはじめとする民俗学の方々もそのような魂もを燃やして、「民俗学」という独立した学問を立ち上げてきたのであろう。柳田国男の海上の道にも、そのロマンのワクワク感が伝わってきた。
 しかしながら、事実もまたロマンである。いや、むしろロマンを事実化する行為こそが知の探究なのである。しかし、その変遷には必ずロマンの陳腐化を受け入れなければならない。

 この世紀を生きる人々は本当にリアリズムなのであろうか。。。。

郊外の電車内にて思う
 

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