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このブログの説明

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本ブログ名の「かもしかみち」は藤森栄一の「かもしかみち」から引用しました。そして藤森栄一は古道という著書にて以下の事を記した。「私はかつて、そうした道*(ここでは古道を指す)を懸命に追ったことがある。その時の成果は、「かもしかみち」という長篇にまとまった。しかし、力が及ばなかったこと、書き足りなかったことが多かった。いつかきっと、日本の古道を徹底的に追い詰めてみようと願った。」と。私は「知の欲望に従って、追い求める原動力」そうした意味をかもしかみちから感じ取った。故に私は本ブログにおいてかもしかみちという言葉を用いたのである。話は変わり、本ブログでは私の長い小言を書く場所と使用いたします。

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教科書(随時更新)

  / 9 原始・古代   原始 とは、新人誕生から、凡そ 16 万年 の歴史を持ち、出アフリカからでも 6 万年以上の歴史持ち、人類史の中で最も多く占める歴史区分である。近年、この時代の研究は考古学だけではなく、 DNA 解析が盛んであり、これにより研究は格段に進歩している。そのため、この時代の教科書の記述は大きく変わることが予想される。今後も順調な研究発展を期待したい。  人類の最初の冒険は出アフリカに始まる。そして、 2 万年の旅の末、我が祖先は、極東の地に到達する。実に 4 万年前のことである。  完新世に入ると、永く続いていた氷河期の終わりが告げられ、日本列島にすまう人々は独自の文化を更盛する。縄文文化である。一番の特徴としては、農耕牧畜がないことである。大陸においては農耕牧畜の始まりにより定住化、文明へと進歩するが、日本列島においては発展的な農耕無くして、土器が生み出され、定住化、土偶などの文化的特徴を生み出した。  紀元前 1000 年頃になると日本列島にも農耕の技術がまいおりてくる。始まりは、満洲周辺にいた農耕民族が朝鮮半島経由で日本列島にやってきたと事が原因だとされている。農耕と伴って出来た弥生文化は、渡来系弥生人によって北部九州から全国へ広がった。縄文系弥生人もこれを受け入れ、数百年をかけて、徐々に混血していき、 2 世紀頃になると、部族社会から国家への移行、つまり「ムラ」から「クニ」を形成する。 3 世紀に入ると邪馬台国卑弥呼を初め大きなクニを形成し、それに伴い墳墓の巨大化、つまり、権力が為政者に集中し、血統重視の王権が誕生する。そして、 150 年の空白期間からヤマト政権が誕生する。   古代 とは、日本においては古墳時代から平安時代中期、つまりヤマト政権の成立から藤原氏による摂関政治の盛行まで取り扱う。この時代区分は凡そ 800 年程の歴史を持ち、人類が文明を持ち始めて以来、最も長い時代区分である。人類の一番最初の発展を描き、それが崩壊するまでの歴史を記述する。  ヤマト政権がいつ誕生したかは未だにわかっていない。邪馬台国の時代からの空白期間に何かしらの出来事が起こり、ヤマト政権が成立したのだろうと思われる。 3 ~ 6 世紀、この時代は大型...

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